Press "Enter" to skip to content

海外からの帰国体験記|アメリカからの帰国 慶應義塾大学法学部3年 K・Yさん(22歳)

K・Yさん(22歳)慶應義塾大学法学部3年

「ふたつの国で得た特性を活かしていきたい」

K・Yさん(22歳)慶應義塾大学法学部3年
※2018年夏インタビュー時点

渡航歴

時期 場所 学校
生まれ~14歳(中2 3月) アメリカ・ニュージャージー州 日本人幼稚園、日本人学校
15歳(中3 6月)~18歳(高3 9月) アメリカ・ニューヨーク州 日本の私立高校(海外校)
18歳(大1 4月~) 日本 私立大学

18年間のアメリカ生活を経て日本へ、帰国当初はカルチャーギャップも

K・Yさんはアメリカのニュージャージー州生まれ。父親の仕事の関係で、実に18年もの間、現地で生活を送ったという。中学生までは日本人学校に通い、その後はニューヨーク州にある「慶應義塾ニューヨーク学院」に進学。同校で4年間の寮生活を経験後に帰国し「慶應義塾大学」に入学した。

「両親は今もアメリカにいて、私は高2の弟と東京でふたり暮らしをしています。日本には今まで祖父母に会うために何度か来たことがある程度なので、こちらで生活を始めたときは驚くことが多かったです。たとえば、満員電車に必死に乗り込む乗客を目にしたときは初めて見る光景で衝撃を受けました」

日本で暮らす日本人に対しては、誠実できちっとした好印象を抱くことが多い。しかし一方で、人と違う目立った行動を取ると冷めた目線を向けられる雰囲気を感じることも。そのようなカルチャーギャップのなか、当初は戸惑うことが多くホームシックに陥ることもあった。

「両親から離れて、しかもアメリカ以外の土地で暮らすことに孤独感を抱くこともありましたし、楽しかった高校時代に戻りたいと思ったこともあります。寮で過ごした仲間たちは私にとっては支えで、特別な存在。学部には同じ高校の出身者が10名以上いますが選択する授業が違うとなかなか会えないので、最初は寂しかったですね」

大学のゼミで、海外にルーツをもつ小中高生を支援中

アメリカでの生活は有意義で得るものが多かったものの、ひとつだけ後悔していることがあるという。

「一歩外に出ると英語が飛び交っている環境で育ったので日常会話での英語はできるのですが、現地校のようには勉強してこなかったので学術的な英語が不得意で…。せっかく海外にいたのだから、英語力をもっと身に付ければよかったです」

ただ、日本の学校に通い続けたことには何の悔いもなく、その道を勧めてくれた両親には感謝している。

「アメリカにいながらも日本をきちんと感じられる環境で育って、両方の国の長所と短所を知ることができたのはとても貴重です」

現在は大学で国際社会関連のゼミに参加している。そこで「日本在住だけれど海外にルーツをもつ小中高生」の支援を行っているとか。

「たとえば、日本語が不得意な子の悩みを聞いたり。地元の日本のお祭りに一緒に行ってお友だちと交流できるよう手助けしてみたり。子どもたちの親御さんは海外出身の方が多いので、面談をして困っていることをお聞きして尽力することもあります。私自身に海外生活の経験があるからこそ、話をしていて気持ちを理解できる点は多いのかもしれません。大学を卒業後も、自分の特性を活かした活動をしていけると嬉しいです」

帰国後の学校への入学方法

受験方法 内部進学
選考方法 内申書
受験勉強開始期間 高校入学時から

想い出

K・Yさん(22歳)の想い出
「高校卒業時に行われたダンスパーティー、プロムのときの写真です。プロムにはずっと憧れていて、まるで映画のような経験ができました。オレンジ色のドレスを着ているのが私です」

親への感謝

帰国前 帰国後
すべてのことに感謝しています。生まれ育った場所がアメリカというのは大変貴重なことですし、私にとっては誇りです。また「慶應義塾ニューヨーク学院」は、学費以外に寮生活の費用が必要にもかかわらず、選択肢として与えてくれました。あの学校に行ったからこそ、かけがえのない仲間たちと素敵な思い出を作ることができましたし、本当にありがたいと思っています。 今、私は弟とふたり暮らしをしていて、そのことを両親は常に気にかけてくれています。2週間に一度、家族で“TV電話会議”をして現状を報告し合うのですが、会議をやろうと提案してくれたのは父。また、TV電話を切ったあとは母がメールをくれて、「さっきはちょっと元気がなかったけど、何かあった?」と聞いてくれたり。何でも言い合える関係で、家族のことは大好きです。