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ドイツとモザンビークで子育てした帰国母インタビュー(後編)

ドイツとモザンビークに滞在歴があり、現在はフレンズ帰国生母の会のスタッフとして活動しているF.Aさんに、現地での子育てや帰国後のお子さまたちの様子について話を聞いた。<前編>の続き。

――Fさんご自身は英語がお得意なのでしょうか。

F:私も帰国子女なんです。小3~小6までアメリカのニュージャージーにいました。だから、英語の苦労もわかってはいるので、子どもたちの英語も私がなんとなくサポートできるかなあ、と思っていました。

――帰国子女として、どのようなアドバイスをされたのですか?

F:最初はなかなか英語が話せないので、あせったり、自分が劣っていると思ってしまうけれど、そうではないよと。ある程度たつと英語がわかるようになるタイミングがありますし。あとは、一緒に宿題をやったり、困ったことがあったときは先生に手紙を書いたり。そうやって応援していました。

――ご主人はどこまで子育てにかかわっていましたか?

F:悩み相談にはのってもらっていましたが、夫からの働きかけはなかったです(笑)。女の子だ、ということもあるのかもしれませんね。

――お子さまたちはインターでの勉強以外に、何か学習をされていましたか?

F:海外・帰国子女教育専門機関JOBAの通信教育を少し受けていました。ただ、通信教育はなんでもそうですが、自分がちゃんとやらないといけないので、しっかりできていたかはわかりません。また、モザンビークは郵便事情もよくなくて、自宅にポストもなかったので、教材は夫の会社に届くようにしていました。

――現地ではママ友のような存在の方はいらっしゃいましたか?

F:ドイツのときは、日本人は大勢いるので、子どもの有無や子どもの通っている学校単位で仲良くなることが多く、全体的に穏やかで適度な距離感でお付き合いしていました。今はわかりませんが、私がいた頃は同じ会社の人だけでもけっこうな人数がいたので、役職が上の人の奥様が音頭をとる婦人会がありました。そこで顔見知りになって、子どもの年齢が近いと仲良くなったり。婦人会といってもお茶をするだけなのですが、助け合いと情報交換のための場でしたね。モザンビークの場合は、そもそも人数が少ないうえ、私がいたときは仕切る立場の人がいなかったので、ゆるい感じでした。子育ての終わったマダムの会と子育て中のグループになんとなく分かれていましたね。モザンビークには日本のものはあまり売っていませんし、野菜も名前すらわからないものが多かったので、「あそこのスーパーで白菜が売っていたわよ」とか「あの野菜はこう使うといいよ」とか、そんな生活の情報をお互いに教え合っていました。

――モザンビークでの暮らしは、予定通り3年間だったのですね。

F:はい。ただ、いつ急に会社から帰国といわれるか、びくびくしていました。いろいろな可能性を考えてはいましたが、計画が狂いますよね。例えば、帰国入試にしても海外に何年間いないといけないなどの条件があるじゃないですか。次女に関しては、もう中学受験はできないので、編入できる学校がないかメールなどで問い合わせてはいました。私立への編入が難しくても、公立中学があるというのは大きな安心材料でしたね。

――お姉さんの方は?

F:実は長女は一足先に帰国させました。もともと通っていた中高一貫校に戻るにあたって、少しでも中学校に通って慣らしておいたほうがよいのでは、ということで、中3の3学期が始まるときに帰国させて、JOBAの寮に入れました。中2の夏休みに一時帰国したときに、JOBAに1泊泊まる体験をして本人が気に入っていたので。

――編入先や進学先を決めるのも大変なんですね。

F:モザンビークではネットサーフィンばかりしていました(笑)。それこそ、ここ(フレンズ帰国生母の会)のことを知っていればいろいろ相談できたのに、と思いますが、当時は知らなかったんです。

モザンビークの人々の暮らし
モザンビークにて。地元の人々の暮らしが垣間見れる写真です(F.Aさん)

――では、なぜスタッフに?

F:次女が編入で入った学校を通じて、「フレンズだより」(会報誌)の取材があるから出てもらえないか、と声がかかったんです。娘が出ることになって、それが縁でスタッフに誘われて。私は仕事をしていなかったので、参加することにしました。海外にいたときにお世話になりたかったです(笑)。

――お母様からみて、お子さまたちにとって海外での経験がどのように役立っていると思われますか?

F:長女は、日本の学生が英語の習得に苦労しているのを見て、英語ができることでこんなに重宝されるんだ、ということを実感したようです。「大変だったけれどあの生活なくしては今の自分を想像できない」とよく言っています。次女は、わりと帰国子女の多い高校に通っているためか、自分より英語ができる子はたくさんいるから劣等感を持つこともあるみたいです。2人とも現地では苦労もしたけれど記憶もしっかり残る年齢になっていたので、モザンビークでの経験が人格形成に影響していると思います。

――これからお子さまの手が離れてきて、Fさんの時間もできると思いますが、何かしてみたいことなどはありますか? また海外赴任の可能性もありそうですか?

F:フレンズ帰国生母の会での仕事も含めて、ご縁があったものには前向きに参加することで、そこからまた視野が広がっていけばいいな、と思っています。海外赴任は今のところないです。ただ、もしあった場合、子どもたちは一緒に行かないので、マダム会に入ります(笑)。

写真提供/F.Aさん
(取材・文/中山恵子)