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先輩からのメッセージ 帰国体験記|自由学園 中等科2年生 H・Kさん(13歳)

自由学園 中等科2年生
H・Kさん(13歳)

※2022年6月インタビュー当時

渡航歴

時期 場所 学校
0歳~6歳(小1) 日本 公立小学校
6歳(小1)~11歳(小5) インド・ニューデリー 日本人学校
11歳(小5)~現在 日本公立小学校→私立小学校

新型コロナウイルス感染症蔓延で急な日本帰国に

 「小学校に入学してすぐ、父から『仕事の都合で数年間、インドへ行くことになった』と聞かされました。初めは、父だけが行くのだと思って悲しかったのですが、家族みんなで行くことが分かって嬉しかったです」と笑うH ・Kさん。小1の夏休みに、インドのニューデリーへ移住した。通った日本人学校では、年に1回行われるインドの文化に親しむ行事が楽しかったと言う。

「校庭にラクダやゾウが来たり、地元の人がカレーを作ってくれたり。カレーは日本のものとは比べ物にならないほど辛かったけれど美味しかったです」

ニューデリーの日本人が校にて。インド文化に触れる行事では、大きな象やラクダが校庭に。「乗るときは本当に怖かったです!」

 渡印当初は小学6年生の7月まで現地にいる予定だったが、新型コロナウイルス感染症の蔓延により小5を終えた時点で急遽日本へ帰国することになった。

「急な帰国になってしまって…。通っていた日本人学校では小6で和太鼓を披露するのが大きなイベントなのですが、それをとても楽しみにしていたので残念でした」

11歳頃、両親と光さんの3人でダージリン地方を観光。一面、ダージリンの茶畑で、強い香りが漂っていたそう。

 ただ、当時は同様の理由でインドを離れることになった児童も多かったことから、日本人学校がオンライン授業を開校。H ・Kも帰国後しばらくはその授業を受けていたが、近所の公立小学校が対面授業を再開したことを機に、小6の5月頃からその小学校に通い出した。インドに行く前、かつて数か月だけ通った学校だった。

「でも小1だった友だちは面影のない子も多かったですし、最終学年での転校だったので、初めは友だちを作るのが難しいと感じました。でも、僕は絵を描くのが好きで、教室で絵を描いていたら皆が見に来てくれてすぐに友だちになれました。また、インドでサッカーをやっていたので、サッカーが好きな子とも自然と遊ぶようになりました」

帰国後は憧れの中学校で寮生活をスタート

 現在、自由学園男子部中等科に通っているH ・Kさんだが、中学受験をすることも、志望校も、かなり前から決めていたという。

「実は、母がこの学校の出身なんです。母から学校時代の楽しい話をたくさん聞かされて育った影響で、ここに通いたいとずっと思っていました。ちなみに、兄も姉も自由学園生です」

 H ・Kさんは帰国生入試で受験。勉強はもともと得意だったとのことで、塾には通わず、自宅で過去の入試問題を解くなどの勉強をしていたという。晴れて自由学園に合格し、4月から寮生活をスタートさせた。

「僕は自宅が栃木県で学校から遠いので、寮に入ることになりました。寮での生活で困ること…特にないですね。仲間とはカードで遊んだり、卓球をしたり。すごくアットホームで居心地がいいです」

コロナ禍が少し落ち着いた時期に久しぶりの家族旅行へ。

インド生活の体験から環境問題に関心を持つ

 学園生活ではサッカー部の活動を楽しむほか、「探求」という授業も楽しいという。

「探求するテーマは自分で決めるのですが、僕は粉塵爆発の探究をしました。アドバイザーの先生から、木を資源にして爆発させてエネルギーを作る(※木質バイオマス)ということを教わり、その実験が面白かったです」

 粉塵爆発に興味がわいたのは、インドでの経験だ。

「インドでは広い道路にたくさんの車がぎゅうぎゅう詰めで走っていて、大気汚染がひどく、マスクなしでは外にいられませんでした。そういう体験をして、環境や資源に関心を持つようになりました」

 そんなH ・Kさんの将来の夢は?

「車に関係した仕事をしたいと思っていましたが、多くの先生と接するうちに色々な分野に興味が出てきたので、今は決められません。でも、やはり環境には興味があります」

親への感謝

インドの写真を見ていると楽しい思い出ばかりです。連れていってくれた父に感謝しています。母には、現地で毎日お弁当を作ってくれたことやご飯とお味噌汁といった日本の食事を用意してくれたことに感謝しています。もう1回インドへ行けるチャンスがあれば、家族でよく行ったインド料理店にまた行きたいです。