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マルチリンガルママが5か国語の絵本アプリを作った理由 (後編)

すぐに日本語はマスター、中学生の頃は英語に夢中

日・中・英の3か国語を話すママが我が子のために作った絵本アプリ「ことばの宝箱」。「多言語を身に付けたのは、防衛手段だった」と語る開発者の増田真由美(ますだ・まゆみ)氏に、アプリ開発や多言語教育について話を聞いた。<前編>から続く。

中国で生まれ育ち、7歳で家族とともに日本で暮らし始めた増田氏。日本語がわからないまま、公立小学校へ通い始めた。

「中国では学校で上履きに履き替える習慣がなかったので、学校側が白い上履きを用意してくれたものの、新しい靴だと思って家から履いていってしまいました(笑)。国語の授業はついていけないので、別室で日本語を教えてもらいましたが、まだ7歳だったので、クラスメイトと遊ぶうちに日本語はわかるようになりましたね」

中学生になると、英語の先生のきれいな発音に憧れて、英語学習に励んだという。「NHK基礎英語」を聞いて、何度も同じフレーズを反復練習し、ネイティブの発音に近づけていったそうだ。

忘れていた中国語を1年間の留学で取り戻せた

大学卒業後には、「生まれ育った国を知りたくて」中国へ1年間の留学。

「その頃には日本語がメインになっていたので、中国語はすっかり話せなくなっていました。でも、中国へ留学したら、すぐに思い出せたんです。英語は中・高・大と10年間も勉強して話せるようになったのに、中国語は1年間の勉強で英語以上に上手になりました。この経験から、やはり幼少期に母語以外の言葉に触れて、音を覚えておくことは大事なんだ、と思いました」

その後、日本語と中国語の同時通訳、日本語と英語の通訳として、働き始めた増田氏。日本に来てしばらくの間、日本語がわからない母のために買い物先などで通訳をしていた増田氏にとって、自然な職業選択だったようだ。そして、妊娠を機に、我が子のために絵本アプリを作り始めた。

「子ども用の多言語教材を探したけれど、なかったんです。それで、各国語の絵本を買って自分で訳そうと思いましたが、それも大変なのでアプリを作ることにしました。翻訳して、ネイティブの方にナレーションを頼んで、イラストもお願いして、編集して、と労力も経費もかかりますが、後先考えずに作り始めた感じです(笑)。大変ですが、たまにユーザーの方がお礼のメッセージなどをくださることがあり、それが励みになっています」

2歳の我が子には日本語と中国を中心に教えている

増田氏のお子さんは現在2歳に。家庭ではどのような多言語教育を実践しているのだろうか。

「夫が日系ペルー人なので、我が家は日本語、中国語、英語、スペイン語が飛び交う環境ですが、子どもがある程度話せるようになるまでは、日本語と中国語をメインに教えることに決めました。なぜ英語ではなく中国語かというと、日本にはインターナショナルスクールもたくさんありますし、英会話学校や教材なども豊富で、学べる機会が多いからです。一方、中国語は、子どもの学習ツールが多くありません。私の経験上、日本語に比べて英語と中国語は音の幅が広いので、中国語に耳が慣れていれば英語も聞き取りやすく、発音もしやすいです。日本語だけを聞いて育つと、どうしても聞き取れない音があるように思います」

なお、戦時中に中国に渡った増田氏の祖母は、現在は日本に暮らしていて、ご健在だという。そして、「祖母が繋いでくれた命で私が生まれてきたことには、きっと何か意味がある」と言う増田氏は、絵本アプリに託す願いをこう語る。

「童話や昔話は単なる子ども向けの読み物ではなく、人の考え方や深層心理を伝えるものです。小さい頃から世界の童話や昔話を読み聞きするということは、世界を知るということ。そうした子どもたちが大きくなった時、この世界が今より少しでも平和になってくれたら。その手助けをすることが、私が生まれてきた使命だと思っています」
(取材・文/中山恵子)

増田真由美さん
増田真由美氏とお子さん(中央)、ご主人(右)
「コロナ禍になる前、京都で着物レンタル店を営んでいて、多くの外国人観光客がいらっしゃいました。これは従業員とお客様との写真です。私は日中英で、主人は日英西でお客様をもてなすこともありました。私が忙しいときは、お客様たちがさまざまな言葉で娘をあやしてくれました」