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インタビュー|野沢直子さん「これからの時代は女性も手に職だ」という父の言葉が自分の人生を大きく変えるきっかけになった

多数の伝説的バラエティ番組に出演し、日本のお笑い界に旋風を巻き起こしてきた野沢直子さん。業界の第一線で大活躍されていた1991年、新たな挑戦の場を求め単身渡米されました。「これからの時代は女性も手に職を付けることが大切だ」と言い聞かせてくれたお父様やご家族との思い出や、アメリカでの暮らし、3児の子育てについて伺いました。

破天荒すぎる父が教えてくれた生きていく上で大切なこと

――まずは幼少期のお話からお聞かせください。

野沢直子さん(以下、野沢) 生まれは東京の人形町です。幼少期は自由人な父の行動に家族全員が“付き合わされていた”思い出がたくさん。何か事業を起こしても全然仕事が続かず、決して裕福な暮らしとは言えませんでしたね。特に印象的な思い出は、父が朝鮮人参のジュースを売り出そうとした時に、毎日飲まされたことです(笑)。母はそんな父を否定せず、いつも笑顔で明るく応援していました。

――ご両親からはどのように育てられましたか?

野沢 これといった教育方針はありませんでした。というのも、我が家は教育に力を入れるというよりも、生きていくだけで精一杯。私も成績は全然良くありませんでしたが、怒られたこともなかったです。特に、父は仕事で〝一発当てること〟に全エネルギーを注いでいたので、教育に関して口出ししてくることはありませんでした。

ただ小学4年生の時に、父から「これからの時代は女性も手に職をつけることが大事だ」と教えられたことは、本当に感謝しています。当時はその言葉の意味も分からずフレーズとして耳に残っているだけでした。でも今考えると、女性は結婚することが一番の幸せだと考える人が多かった昭和の時代に、その生き方を子どもに説けるのもすごいと思います。

――なるほど。野沢さんご自身はどのようなお子さんだったのでしょうか。

野沢 早生まれだったこともあって最初はみんなについていけず、家では元気なのに外ではおとなしい、かなり内弁慶な子でした。でも小学3年生の終わり頃に転校したことで、性格に変化が生まれました。ある日の「お楽しみ会」で、友だちのお母さんのものまねをしたらすごくウケて。そのときの快感が忘れられなくて、人前で何か面白いことをしたり笑いをとったりすることが好きになりました。中学生になる頃には、みんなの前で漫才やコントなどをやるぐらい「クラスのお調子者」になっていました。

破天荒で家族を振り回してばかりいた父。
そんな父からの唯一の教えは
人生で最も大切なことでした。
その教えは、気づかないうちに
自分の子どもにも受け継いでいました。

子どもの意見を尊重した両親だからこそ選べたお笑いの道

――本格的にお笑いの道を目指そうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

野沢 高校3年生の時に友だちに誘われて、素人参加型のお笑い番組に出たのがきっかけです。でもその時は芸人になりたかったというよりも「番組でもらえる賞金がほしい!」という単純な理由でオーディションに参加したんです。結果オーディションに合格できたので、実際に番組に出演して賞金58万円までいただいて。出演したことをきっかけに、本格的にお笑いをやりたいと思うようになりました。両親にも特に反対されなくて、子どもの選択を肯定してくれる、懐の広い両親だったなと思います。

日本を離れ、新たな挑戦の地としてアメリカを選んだ

――伝説の超人気バラエティ「夢で逢えたら」へのご出演など日本の芸能界で大活躍されていた最中に、渡米されましたよね。その理由は?

野沢 芸能界に入ってからは、忙しかったですが日々充実していました。でも「夢で逢えたら」に出演していた頃から悩むことも増えました。収録は楽しくても、共演していた芸人のみんなが才能に溢れていて、プレッシャーも大きく、自分を見失いそうになることもありました。そんなこともあって、とにかく自分のことを知らない人ばかりの場所で、どれだけできるか試してみたいと思うようになったんです。渡米しよう、かっこいいからNYに行っちゃおうと思い立ってからはすぐに行動しました。たださすがの両親も、この決断だけは心配だったみたいで。父はNYまで来て、アパート探しに付き合ってくれました。アメリカに住み始めた頃は、コメディクラブに出演してみたり、公園で猿のモノマネを披露したり、あとはバンド活動も。とにかく「やってみたい」と思ったことには率先して挑戦しました。

何でも自分で決断させる子育てでリードせず、後ろからついていく

――バンド活動の中でご主人と出会い、現在は26歳、24歳、19歳と3人のお子さんの母親でもある野沢さんですが、子育てする上でどのようなポリシーを持っていましたか。

野沢 夫とは出会って3日で私から逆プロポーズという超がつくスピード婚だったにも関わらず、彼は子育ての方針も合うベストパートナーでした。2人で共通して大切にしていたことは「子どもたちの人生はあくまで彼らの人生。親を喜ばせるために生きているわけではないから、子どもの人生に入り込み過ぎないよう注意すること」。そして、「小さなことでも子ども自身で決断させること」。自分で決断することでその選択に責任を持つということを学ばせたいという思いからです。

それに父親から私自身が言われていた「手に職を持つことが大切」ということも言い続けていました。そのお陰か子どもたち全員、自分で好きな仕事を見つけてくれました。長女から格闘家の道に進みたいと言われたときはまさかと思いましたが、自分もお笑いの道に進むときに両親に反対されなかったように、娘の選んだ道を尊重しました。

一番大変だったのは反抗期。特に長女は大変で、子ども扱いされることをとても嫌がって、何を言っても言い返してきていました。ただ、子育てを終えて理解したのは、反抗期に特効薬はないということです。当時は、どうしたら良いのか分からずに、旦那ととにかくあたふたしてました。救いになったのは、たまたま手に取った一冊の育児書です。その本に、「反抗期は親のせいでもないし子どものせいでもない。ホルモンのせいと思いなさい」と書いてあったんです。その言葉に凄く励まされました。

――最後に読者の方にメッセージをいただけますか?

野沢 海外での子育ては、日本と違って面白いところもあると思います。アメリカは広いので州によって空気感が違い、私の住んでいるカリフォルニアは自由で多様性を認め合える地域なので、伸び伸びとした子育てができました。今年は新型コロナウイルスが最大の懸念事項ですが、今はとにかく手洗いとマスク。皆さん、健康第一で楽しく過ごしましょうね。

 

野沢直子さんの一問一答×10

❶好きな言葉は?
好きこそものの上手なれ

❷嫌いな言葉は?
特になし!

❸どんなときにウキウキする?
冷凍のたい焼きを食べるとき

❹どんなときにげんなりする?
コロナの影響でライブや友だちと話す機会がないこと

❺人生でピンチを感じたときは?
父が朝鮮人参の顆粒状のジュースを売り 始めたとき

❻人生でチャンスを感じたときは?
高1の時に好きだった人に告白して付き合い始めたとき

❼朝起きていつもすることは?
犬の散歩

❽寝る前にいつもすることは?
ローションをつけること

❾マイブームは?
YouTubeチャンネルに投稿するために1人でコントすること

❿10年後どうしていたいか
現状維持

※2020年2月インタビュー

 

プロフィール

野沢直子さん

1963年、東京都生まれ。父、母、祖母、弟の5人家族。高校3年生の時に同級生と「素人漫才コンテスト」に出演。83年に吉本興業に入社し、芸能界デビューを果たす。「夢で逢えたら」を始めとした数々の人気番組に出演したのち、28歳で日本での芸能活動を休止して渡米。現在は、アメリカのサンフランシスコに在住しながら年に数回帰国し、自称「出稼ぎ芸人」として活動している。

 

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