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第2回(全3回)「Who are you?」という問いに、まっすぐ答えられる自分でありたい

ハリウッドで学んだ、日本人に必要な姿勢

大好きだったはずの英語の挫折。
それでも、ハリウッドで得た新しい価値観は、
僕に大きなものをもたらしてくれた

–大学ご卒業後はどのような活動をされていたのでしょう。

別所 まずは無名で舞台に立ったり、テレビに出ることからのスタートでした。1年くらい活動した頃、ハリウッドの日米合作映画で宇宙飛行士役の募集があって、これはチャンスだと挑戦してみたんです。第5次審査くらいまでかけて、ようやく合格。アメリカ行きが決まりました。

–当時はどのような心境でしたか?

別所 よく驚かれるんですけれど、実はそれが初の海外渡航だったんです。それまでは海外旅行にも行ったことがなくて。それでも、すごくワクワクはしていましたよ。けれど現実は甘くなくて、結局俳優のオーディションに合格しても「哲也の英語はいろんなイントネーションが混ざっている」と指摘されてダイアログ・コーチを受けることからスタート。英語は大好きでしたが、挫折も味わいました。

それでも、ハリウッドに行ったからこその気づきはたくさんありました。例えば、「生きる」ということには、もっとファイティングポーズを取るくらいの気持ちが必要なんだということです。当時23歳だった僕は、ドンと分厚い英語の契約書を渡されて「全部自分で読んで、納得したらサインをして」と言われました。その時、「自分の行動には責任を持たねばならない」という感覚が植えつけられました。

多様なカルチャーでこそ
気づけることがある

–帰国後も新たなカルチャーショックがあったのではないでしょうか。

別所 そうですね。一度海外経験をした人なら誰しも感じたことがあるかもしれませんが、良くも悪くも「アメリカならこうだった、でも日本は……」と見比べてしまうんです。

「自分が何者なのか」
「自分がどんなことに価値を
置いているのか」。それを理解して、
自信を持つことに意味がある

それに、アメリカと日本では「価値づけ」の方法がまったく違います。アメリカにいた時に、現地の人に「Who are you?」と問われたことがあったのですが、あちらでは「僕が何者なのか」「僕がどのような選択をして生きているのか」とよく問われて、その答えが人の価値となります。一方で、日本では「ハリウッドに行った男」「カンヌで評価された作品」と、誰かの価値づけで役者や作品の価値が決まりがちです。

そうしたギャップを感じると、最終的に結局日本にもアメリカにも帰属できない自分が残ってしまう。これをアイデンティティクライシスと言うそうなのですが、やっぱり自分を「浦島太郎だな」と思うことはありました。

それでも、僕はあちらで学んだ個人の価値観を大切にする感覚を映画の世界でも大切にしたくて。無名でもなんでも、個人が「これ面白いな」と思う作品の可能性にフォーカスできるプラットフォームをつくりたいと思いました。そこで『ショートショートフィルムフェスティバル』という映画祭を立ち上げるに至りました。

プロフィール

別所哲也プロフィール

別所哲也(べっしょてつや)

1965年、静岡県生まれ。『静岡県立藤枝東高校』を卒業後、『慶應義塾大学法学部法律学科』に進学。その後23歳で渡米し、ハリウッドデビューを果たす。帰国後も映画や舞台など多方面で活躍。1999年からはショートフィルム映画祭『ショートショートフィルムフェスティバル』を主宰している。

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