Press "Enter" to skip to content

世界に誇れる日本のため教育から変えていきたい

A.Sさん(22歳)同志社大学グローバル・コミュニケーション学部4年

A.Sさん(22歳)同志社大学グローバル・コミュニケーション学部4年

時期 場所 学校
9歳(2カ月だけG3、G4 4月)~13歳(G7 7月) アメリカ(ミシガン州) 現地校
13歳(中1 9月)〜 日本 私立中学校→高等学校
18歳(大1 4月)〜 日本 私立大学

帰国後に知ったのは自分の英語力不足

5年間の滞在予定でアメリカに渡った約2年後、思いがけない理由で約1年後の帰国が決まりました。
「母に大きな病気が見つかったのです(現在は完治)。手術などの治療を経て約1年後、容態も安定したので帰ってきました。ですので、帰国前の心境としては仲良くなった友人と別れるのが残念な反面、ほっと安心もしていました。」

帰国後は、帰国生を数多く受け入れる中高一貫校『同志社国際中学校』に9月から編入学しました。

「もともと住んでいたのは千葉県だったのですが、父の会社の配慮で母の実家の関西に帰ることになり、そこから通える学校を調査。そうしたら、この学校は父の出身大学系列でもあるし、すごく国際的で最高じゃないかと(笑)。現地校を修了してすぐの7月に編入学試験を受け、9月から通いだしました。」

結果、高校卒業まで充実した学校生活を過ごしました。
「編入仲間も6名ほどいたし、入学前からバスケ部にも入部できたので、学校が始まる9月にはすでに友人が数名できていて、とても心強かったのを覚えています。入学後は、とにかく生徒の自主性を尊重してくれる学校で、校則があるとしたら指定の上靴を踏んじゃいけない程度で(笑)。すごく居心地が良かったです。」

ただし、ショックを受けたこともあったとか。
「英語力ですね。習熟度別で一番上のクラスに入れたし、結構できるほうだと思っていたんですが、アメリカに10年暮らしていた人などペラペラな人ばかりで…。それからはとにかく必死で努力の毎日。滞在中よりも帰国後のほうが英語力は伸びましたね。」

2度目のアメリカで日本の教育を考えた

卒業後は、『同志社大学』のグローバル・コミュニケーション学部に入学。同学部のカリキュラムで、2年時には『カリフォルニア大学デービス校』に1年間の留学も経験しました。

「現地の学生たちと一緒に授業を受け、大変ながらも充実した日々を過ごしていました。でも、アメリカ人の友人たちと接するうちに、日本から来た大半の日本人学生は「日本人同士いつも一緒で、日本語ばかり喋っている」「授業で発言しない」ことに気が付いてしまって…。」

帰国後、大手教育関連会社に就職を決めたのも、それがきっかけです。

「世界における日本の立場を根底から支えられるようにするには、グローバル教育をもっとしっかりやる必要があると思ったからです。将来、それに携われれば本望です。」

想い出

渡米直後のハロウィンにて。

渡米直後のハロウィンにて。

「”これぐらいで十分だろう”と思って簡単な魔女の変装をしたのですが、皆がガチすぎてビックリしました!」

親への感謝

親の職業:総合電気メーカー勤務

帰国前 帰国後
最初まったく英語が分からなかった時、教科書を全部翻訳してくれた両親に感謝。全部知りたい性分で大体の訳では満足せず、細部まで結構しつこく翻訳を迫っていましたが、根気よく付き合ってくれました。 私立の中高一貫校、大学、留学に行かせてくれたことに感謝しています。私のためになると思えばなんでも応援してくれて、とても心強かったです。
Copyright © 2008 - 2018 帰国便利帳 All Rights Reserved.