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海外からの帰国体験記|メキシコからの帰国 神奈川学園中学校 2年 N・Kさん(14歳)

貧富の差が激しいメキシコで過ごした3年間。将来は、人の役に立てる大人になりたい

神奈川学園中学校 2年 N・Kさん(14歳)
※2021年7月インタビュー時点

渡航歴

時期 場所 学校
5~8歳(小3) メキシコ・メキシコシティ 日本人学校→(幼小中高一貫校の日本コース)
8歳(小3)~ 日本 公立小学校→私立中学校

毎朝、高速道路で通学事故が多くて心配!

「メキシコで最も美しい場所」として知られる世界遺産の街、グアナファトにて。
カラフルな街並みをバックに、5歳違いの弟と。

「メキシコ行きを聞かされたときのことはあまり覚えていないんですけど、海外に行くのは初めてで不安でしたし、友だちと離れたくないという気持ちはありました。幼い頃の私は泣き虫だったので、環境の変化についていけなくて泣いた記憶もあります」

戸惑いを抱きながら、異国での生活がスタート。メキシコで通った幼小中高一貫校にはメキシココースと日本コース(=日本人学校)があった。N・Kさんは、幼稚園はメキシココース、小学校に上がる際に、帰国するときに備えて日本コースに通った。同じ境遇の日本人の児童と一緒に過ごす生活は楽しかったという。

「学校には、毎朝スクールバスで30分かけて登校していました。しかも高速道路を使っていたので、家から相当遠い場所にあったんです。行き帰りに時間がかかるだけでも心配ですが、加えて、メキシコでは、バスが途中で故障したり高速道路にひびが入るなどの事故がしょっちゅう!私は運よくそういう目には遭いませんでしたが、母はいつも不安なようでした」

ゆるいメキシコから一転日本の公立小に動揺

学校の行事ではメキシココースの生徒と触れ合う機会も多くあり、さらに、「死者の日」などの伝統的な祭りに参加することもあったため、現地の人との交流も楽しめた。

「メキシコは明るい人が多くて、すれ違うときは知らない人同士でも挨拶をするほどフレンドリーです。それから、メキシコで印象的だったのは、全体的にゆるい空気が流れていること。たとえば日本からの荷物がなかなか届かないとか…、そういえばスクールバスもしょっちゅう遅刻していましたが運転手は気にしていなくて。学校もバスが遅れた日はそのまま遅れて授業が始まるんです(笑)」

メキシコでの暮らしにようやく慣れた頃、8歳で日本に帰国することに。それまでは19人という少人数の1クラスで和気あいあいと過ごしていたが、日本では1学年に6クラスもある公立小に転校した。環境のあまりの違いに動揺したものの、クラスには日本の保育園時代の友人がいたため、その子をきっかけに友だちの輪が広がった。

帰国後、地元のお祭りへ。

塾通いがつらく、涙 しかし受験勉強は継続

「周りとスムーズに打ち解けられたのでホッとしました。ただ、メキシコでは特色ある学校で居心地よく過ごせていたので、中学は私立に進むほうがいいのではと母が助言してくれました。それからは受験を視野に入れて、小4から塾に通い始めました」

しかし、最初に通った塾はペースが合わず、精神的に追い込まれることに。

「本当につらくて、母に泣きながら『やめたい』と言いました。一時は受験もやめようかという話にもなったのですが、私立に行きたい気持ちはありましたし、両親も応援してくれていたので、受験はあきらめたくないなと。結局、小6の4月にほかの塾に移って勉強を続けました」

現在通う神奈川学園を受験した決め手は、ダンス部に惹かれたため。

「もともとダンスが好きなので、ダンス部の活動が盛んな学校に入学したかったんです。この学校は文化祭や運動会に活気があって明るく活発な人が多いです。ダンスで好きなジャンルはヒップホップですが、部活ではジャズダンスやアイドル風のダンスなどいろいろトライできて楽しいです」

中学ではダンス部に入部。「昨年はコロナの影響で制限がありましたが、今年は週に4日活動できていて嬉しいです!」

今後は、メキシコでの経験を活かした仕事に就きたいと考えている。

「メキシコは貧富の差が激しくて、道端で物乞いをしている人もいます。国によってこんなに違うんだと驚きました。将来は、そのように困っている人たちの役に立つ大人になりたい。海外で仕事をしてみたい気持ちもあるので、そのためには英語の勉強を頑張らないといけません(笑)」

親への感謝

メキシコで異国の文化に触れられたことは、貴重な経験でした。まずはそのことを感謝しています。それから、中学受験で精神的に不安定になったとき、私の気分転換のために父は車で遊びに連れて行ってくれたり、母は勉強を教えてくれたりと、とても助かりました。