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海外からの帰国体験記|中国・上海からの帰国 立教新座高等学校2年 O・Jさん(17歳)

立教新座高等学校ojさん

「中国語を身に付けたことで語学に対する自信が芽生えました」

立教新座高等学校2年 O・Jさん(17歳)
※2020年10月インタビュー時点

時期 場所 学校
7歳(小1、5月)~11歳(小5、3月) 中国・上海 日本人学校
11歳(小6、4月)~ 日本 公立小学校→私立中学校

何気ない日常が思い出になる

O・Jさんは父親の海外赴任にともない、小1の5月に家族と中国・上海に渡った。。

「幼かったので、あまり記憶がないのですが、小5だった姉が友だちと別れるのを悲しんで泣いていたのは憶えています。上海では日本人学校に通ったのですが、1学年に300人も生徒がいたので日本の小学校とあまり変わらない環境でした。ですので、すぐに学校になじむことができましたし、勉強で苦労することもありませんでした」

そうは言っても、当初は日常生活で困惑する場面もあったという。
「コンビニで買い物をする時に言葉が通じなかったので、外国に来たんだと実感しました。日本人学校で週に1回ある中国語の授業で、数字の読み方を学んだことで、買い物をする時やタクシーに乗る時にも戸惑わなくなったのを憶えています」

oj_上海エキスポ
2010年に開催された上海エキスポに家族と一緒に行ったときの一葉。右に写っているのは、4最年上の姉

上海では楽しい思い出もたくさんできた。
「学校の校外学習では、市場を見学したり、上海動物園にパンダを見に行ったりしました。長期休暇には家族で北京や香港、海南島などに旅行に行きましたが、日本とはまったく違う街並みや自然の風景がとても印象に残っています。他にも、現地の人と一緒に折り紙を作って交流したり、日本人サッカーのクラブチームに所属して練習に励んだことなど、楽しい思い出がいっぱいあります。たまに写真を見返して、中国での生活を懐かしく思い出すこともあります。ひとつ後悔しているのは、ほとんど旅行先などで撮った記念写真しか残っていないこと。もっと自宅の部屋や近所の街並みなど、身近にあった何気ない風景の写真を撮っておけばよかったと思っています。帰国を予定している人には、そういう写真を撮っておくことをおすすめします」

充実した学びが得られる自由な校風

小4の頃から中学受験を考え始め、帰国も視野に入れるようになった。
「立教新座中学校・高等学校は父の母校だったこともあり、父から進学を勧められました。そこで、受験準備のために小5が修了した3月に帰国。4月からは日本の公立小学校に6年生として通うようになりました。夏休みに一時帰国で帰るたびに日本で楽しく過ごしていたので、本帰国するのはとても楽しみでした。最初は友人がいなかったので少し寂しかったですが、日本人学校とさほど変わらない環境だったので、すぐになじむことができ、友だちもできました。上海ではいつもお弁当を持参していましたが、日本の小学校では給食が出ました。それも学校生活の楽しみのひとつでした」

下校後は帰国生向けの塾の受験コースに週3回通い、志望していた立教新座中学校に帰国生入試で合格。現在は、充実した高校生活を送っている。
「自由な校風なので、私服で通学できますし、スマートフォンの所持も許可されています。部活はサイクル部で、インターハイ出場を目指して練習しています。上海にいた時に親に買ってもらった自転車でよくサイクリングに行っていたことがきっかけで入部しました」

oj_自転車
高校2年の夏に出場した県大会の様子。高校3年生がいる中で7位に入れたことが嬉しかったです。

英語と経営学を学び、実践的に使ってみたい

O・Jさんは現在、立教大学への進学を視野に勉学に励んでいる。
「社会人になった時に役立つ知識を得るために経営学部を志望しています。進学できるかどうかは高校3年間の成績で決まるため、普段から勉強には力を入れています。また、卒業研究論文を執筆しなければならないので、今からテーマを検討しています」

まだ漠然とではあるが、将来は語学を生かした仕事に就きたいとO・Jさんは夢を語る。
「今度は英語圏に住んで実践的に使ってみたいと思っています。中国語もある程度身に付けることができたので、語学力には自信がつきました。また上海に行って、家族と暮らした思い出の場所を訪ねるという夢も早く実現させたいです」

海外滞在時の思い出写真

oj_台北
色々な場所に家族旅行で行った。写真が7歳のときに台北などを訪ねたときのもの。住んでいた上海とはまた違った文化を見ることができました

親への感謝

現在は母と姉との3人暮らしで、父は韓国・ソウルに単身赴任しています。本来ならもっと長く家族みんなで暮らせたのでしょうが、受験をサポートするために一緒に帰国してくれた家族には感謝しています。また、両親が中国語を話せるため、上海でも安心して暮らせたこともありがたく思っています。