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応援したい!我が子のバイリンガル道 STEP③

スーパーバイリンガルへの道を帰国後に究めつつある人たちのメソッドを参考にする

スーパーバイリンガルへの道は、三者三様

日英バイリンガルの能力、しかも両言語の運用能力が限りなく高い“Super”な能力をお子さんが獲得するためのヒントを紹介してきた今企画。最後に、その域にかなり近いと言える3名に登場いただき、言語力獲得にあたり、これまでの海外生活や日本での生活のなかでしてきたことなどを伺った。

3名の略歴は次の通り。

この略歴からも伝わるように、英語環境で過ごした期間の長さ、日本語環境に戻った年齢、英語環境や日本語環境で通った学校の種類など、3名がこれまで辿ってきた道は様々。

見逃せない大きな共通点は「チャンスや自身の経験を無駄にせず、何が何でもバイリンガルになって、人生を楽しみたい」といった熱い思いや、その思いを具現化させようとする積極性、勇気を持ち続けていることだろう。

第一に考えたいのは我が子と並走しながら見守ること

保護者として我が子を応援する際は、熱い思い・積極性・勇気を引き出したり、受け止めたり、一緒に高めたりすることを第一に考えたい。そうすることで、お子さんはきっと「日本語だけの世界」や「英語だけの世界」にとどまらない、広い世界を歩んでいけるはずだ。

スーパーバイリンガルへの道を究めつつある人たちのメソッド①

幼い頃から英語圏で何年も暮らし、ずっと英語のほうが得意だったケース

サクラさん

神奈川県生まれ。生後6ヵ月でアメリカに渡り、現地校(幼稚園〜高校)を経て、イリノイ州立大学へ。大学を卒業してから約21年ぶりに帰国した。現在は日本で暮らしながら、誰もが知る米国系IT企業の日本法人にて、learning and developmentの仕事に従事。

英語環境のいる間

やっていた|イリノイ州での生活に日本語や日本文化を取り入れていた

現地小学校に通いつつ、小1~5までは毎週土曜日にシカゴにある補習校へ通い、国語と算数を学んだ。「補習校帰りには家族で “Mitsuwa Market Place”に寄り、和食の材料や日本のお菓子を買っていました。家ではよく母の作る和食を味わったり、日本のアニメを観たり。家の外では英語、家族間では日本語で話していました」(サクラさん)。

やっていた|一時帰国をして日本の学校に通うこともあった

毎年、現地小学校の長期休暇中には日本に一時帰国をしていたそう。「両親が就労ビザの関係でいずれ帰国すると考えていたので。一時帰国中に公立の小学校に通った年もありました。そこでできた友だちや日本の従妹に、イリノイ州から手紙を書いていた記憶があります。彼女たちに勧められた日本の漫画を読んだりもしました」(サクラさん)。

日本語環境に戻ってから

やっていた|仕事を覚えながら日本語力を高めていった

イリノイ州立大学卒業後に帰国。初めての仕事を日本でスタートさせた。「就職先は米国系IT企業です。東京で働く以上、英語だけできても仕事が成り立たないため、日本語力も早くビジネスレベルまで高めなくては…と頑張りました。仕事のあとはもちろん、仕事をしながらも、単語や言い回し、敬語の使いかたなどを覚えていました」(サクラさん)。

やらなかった|ドメスティックな日本の企業への就職は考えなかった

就職活動開始時から、就職先は日本と関わりのある外資系にしようと決めていた。「バイリンガルであることを活かしたいと思ったからです。もしドメスティックな日本企業に勤めていたら、言語は日本語中心、文化も日本中心になるので、英語力は活かせず、海外生活の長い私のようなタイプへの理解もあまり得られなかったと思います」(サクラさん)。

現在

やっている|二つの言語を気軽に使える機会を保っている

仕事中に使用する言語の割合は、日本語4:英語6程度。日英両言語を絶え間なく使う環境にいるという。「プライベートでも日本語と英語ネイティブ、それぞれの友だちと日常的にSNSやメッセージングのアプリを使って交流しています。また、日英両言語を使うYouTubeチャンネルとポッドキャストの配信もしています。いろいろな機会を自分で作り、世界中の人といつも“気軽に”話す毎日です」(サクラさん)。

スーパーバイリンガルへの道を究めつつある人たちのメソッド②

中1まではずっと日本にいて、中2以降に英語圏で数年暮らしたケース

佐藤信玄(さとう・しんげん)さん

日本の公立中学校の2年時にアメリカへ渡り、現地中学校に3ヵ月だけ通って帰国。海外の言語や文化をもっと学びたいと考えるようになり、その後、ニュージーランドの現地高校へ進学。卒業してから帰国した。現在は札幌で英会話講師の仕事をしている。

英語環境のいる間

やっていた|話せず、聞き取れず…だから開き直っていろんな人と話した

中2でアメリカに渡った段階では、英語力はまさに日本の中2レベル。「現地校ではあまり話せない、聞き取れもしないという状況。このままでは寂しいし何も得ずに帰国するのももったいないと思い、あるときから開き直っていろんな人に話しかけました。皆が一生懸命聞き取ろうとしてくれて、僕の伝えようという気持ちも膨らみました」(佐藤さん)。

やっていた|現地高校時代は友だちと恋人から生きた英語を吸収!

高1でニュージーランドの現地高校に入学してからは、英語ネイティブの友だちと恋人ができ、英語力が磨かれた。「アメリカのときと同様、自分から話しかける姿勢は貫いていました。また、授業中はわからない言葉を聞き流さず、こまめに調べました。放課後はよく友だちや恋人と過ごしていたので、日々語彙力が上がる実感もありました」(佐藤さん)。

日本語環境に戻ってから

やっていた|英会話に通いつつ、興味のある分野を英語で学んだ

3ヵ月滞在したアメリカから戻ると、英語力をもっとつけたいという欲が。「それでアメリカ人の先生が教える英会話教室に通いました。さらに、英語圏の人が作った面白そうな動画を探して視聴するという勉強法を編み出しました。題材は料理やゲームなど、自分の好きなもの。視聴して分からない単語や文法があれば、書き留めて覚えました」(佐藤さん)。

やらなかった|英語力を磨くため、日本の高校には進学しなかった

高校は海外へと考えて、学校探し。「英語を自由自在に使えるようになりたいと思い、親と一緒に海外の学校探しをしました。“金銭的な負担が大きくない”、“英語がペラペラではなくても受け入れてくれる”という条件で絞り、ニュージーランドの現地高校に決めました。書く力や読む力も伸ばすことができたので、いい選択でした」(佐藤さん)。

現在

やっている|英会話講師として働きながら、海外の友だちとも交流

ニュージーランドからの帰国後は、フリーランスの英会話講師、オンラインの英会話講師の仕事を始めた。「2度の海外生活で、初対面の相手と話すことが得意になり、英語を何かしらの形で使い続けたいとも思っていたので、この仕事を選択。仕事以外でも、よくオンラインで海外に住む英語ネイティブの友だちとおしゃべりをしています。新しい流行り言葉や言い回しを覚えられて嬉しいです」(佐藤さん)。

スーパーバイリンガルへの道を究めつつある人たちのメソッド③

非英語圏で暮らして日本人学校に通いつつもバイリンガルになったケース

Akinaさん

横浜の公立小中学校に通って中2の4月に台中へ渡り、2年間、日本人学校に通う。帰国後は神奈川県の公立高校、慶應義塾大学へ。現在はメディア『Nomad University』を通じた“デジタルノマド(” 世界を旅しながら働くライフスタイル)の普及を仕事とする。

日本人学校にいる間

やっていた|現地の言葉を学んで使い、外国語の持つ素晴らしい力を実感

通っていた日本人学校の英語教育は日本の中学校と変わりないものだったそう。「加えて、現地の言語である中国語の授業もあり、楽しく受けていました。そして中国語を使って現地の人たちと交流し、『語学力があれば世界は広がる』ということを身を持って知りました。これが日英バイリンガルを目指すきっかけのひとつになりました」(Akinaさん)。

やっていた|「日本語以外の言語で意思疎通できた」という成功体験を重ねた

趣味のテニスを通じて、Akinaさんには現地人の友だちが増えた。「友だちとは中国語で会話。なかには英語が堪能な子もいたので積極的に関わり、英語も使うようにしていました。こうして『日本語以外の言葉で意思疎通できた』という成功体験を積み重ねられたことは、その後のモチベーションアップにつながりました」(Akinaさん)。

日本語環境に戻ってから

やっていた|大学の英語入試やTOEFL®の対策と、ディベート大会参加

神奈川県の公立高校卒業後は慶應義塾大学環境情報学部に。「英語入試対策で語彙が大幅に増加。また、TOEFL®の受験対策でアカデミックな文章も理解できるようになりました。大学卒業後は英語教育・出版事業へ。当時はディベート大会にも参加していて、それが自分の考えを瞬時に英語でアウトプットする訓練になりました」(Akinaさん)。

やらなかった|自身の力を卑下したり人にものを聞くことを躊躇したりしなかったり

英語力がこのレベルに達したら海外に行こう、と考えても“完璧なタイミング”はない。「だから思い切って大学3年生のときに、交換留学で9ヵ月間、ハワイへ。留学中はわからない単語などをその場で聞くことを徹底。勢いで何でも聞いていたら、周りの人たちにそういうキャラクターだと思ってもらえて、自分もラクになりました(笑)」(Akinaさん)

現在

やっている|旅をしながら働いて、英語を日常的に使っている

「世界を旅しながら働きたい」と勤めていた会社を退職してからは父親と世界一周旅行に出かけ、その流れで現職をスタート。「海外の仕事仲間との共通言語は英語。英語でポッドキャストや講演もしています。受験勉強をしていた頃はときに苦しみながら覚えた英語でしたが、今は楽しく使えて幸せです。これまで足を運んだのは41ヵ国200都市。これからもどんどん世界を見に行きます」(Akinaさん)。

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