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わたしの帰国体験「ベルギー生活から日本での娘たちの進学」

保護者の海外赴任に伴い、海外で暮らしている子どもたち。海外滞在中は海外子女、帰国後は帰国子女と呼ばれる。彼らが海外留学者と大きく異なるのは、本人の意思で海外で暮らしているわけではないということ。また、幼少期や思春期に、渡航するケースも多く、それがゆえに、大きな葛藤が生まれることもある。

本コラムでは、彼ら(彼女ら)の国境を越えた葛藤の様子と、そうした我が子を主にサポートする母親の思いについて、話を聞く。

今回は、4人の娘を持ち、2度のベルギー赴任に帯同した経験をもつNさんだ(女性)。日本とベルギーを往復するなかでNさんが感じたのは、子どもの学齢が上がるにつれて難しくなる「学校選び」だった。

最初のベルギー滞在ではフランス語圏の現地幼稚園に。

最初のベルギー生活は、長女が1歳、二女がおなかの中にいる時にスタートした。

ベルギーの公用語はフランス語、オランダ語、ドイツ語だが、Nさんたちが暮らしたのは、主にフランス語が話される地域。Nさんは日常生活で困らないようにと、渡航当初からフランス語のレッスンを受けた。

とはいえ、フランス語をより理解したのは、3歳からフランス語で教育を行う現地幼稚園に通った長女だった。現地の小学校に入学する頃には、「私のほうが、お母さんよりフランス語を話せる」と自信をもつほどになった。

「買い物する時など、私が聞きとれないフランス語を『それは、こう言っているのよ』と日本語で説明してくれるなど、通訳のような役割をしてくれたものです」と、Nさんは当時を振り返る。

最初のベルギー滞在ではフランス語圏の現地幼稚園に。

約6年間のベルギー生活を終え、日本に帰国したのは、長女が小学校1年生の夏休みで、二女は幼稚園の年長、二女同様にベルギーで出産した三女は1歳になっていた。

日本に帰り、長女は公立の小学校に、1年生の2学期から編入した。

ベルギーの補習校で、国語と算数を習っていたこともあり、学業面では特に問題はなかった。教えたことといえば、日本の学校での手の挙げ方ぐらい。

ベルギーの学校では、授業で手をあげるときに人差し指を突き上げる(他の指は握る)習慣があったからだ。

二度目のベルギー赴任。帰国後の進路を考慮し、四姉妹を日本人学校に。

二度目のベルギー赴任に、家族で帯同することになったのはその7年後、長女は中2、二女は小6、三女は小2、四女は幼稚園年長になっていた。

子どもたちが幼少期(またはまだ生まれていなかった)だった最初の赴任に比べ、教育面で考えなくてはならないことは各段に増えた。

姉妹が通う学校をどうするか、あれこれ考えた末、「将来、日本で生活するには、正しい日本語は欠かせないので、しっかりと日本の教育を受けさせたい。それに、フランス語や英語の学校と比べて、子供のストレスも格段に少ないだろう」という結論に。四人の娘を日本人学校に入学させることにした。

ベルギーの日本人学校は、児童・生徒のほとんどが転校生なので、「転校生だから」と特別視されることはなかった。

初めて学校に来た時の不安な気持ちを理解しているため、クラスメート全員が歓迎ムードで、姉妹が学校になじむのを手助けてくれた。こうした環境のおかげで、姉妹はすぐに学校生活に溶け込んだ。日本の小学校の最終日に「友だちと離れたくない」と泣いた三女も同様だ。

放課後は、姉妹それぞれがピアノやバイオリン、フルートを習った。ベルギーには現地の音楽大学を出た日本人が多く住んでおり、講師探しには困らなかった。ピアノの発表会で、四姉妹でアンサンブルを披露したことも、良い思い出だという。

日本人学校は中学まで。迷った末に娘たちは日本の高校で寮生活を送ることに。

長女の中学卒業が近くなると、Nさんは子どもたちの進路について再び悩むことになる。

日本人学校は中学まで。迷った末に娘たちは日本の高校で寮生活を送ることに。

というのも、姉妹が通った日本人学校は中学部までしかなく、卒業後は、ベルギーのインターナショナルスクールに進むか、ベルギー以外の国の日系の高校か、日本に帰って日本の高校へ進むかの、3択を迫られたからだ。

しかも、夫のベルギー赴任期間はその先数年は続くため、ベルギー以外の国や日本の高校を選べば、娘は家族と離ればなれに暮らすことになる。

家族で話をした結果、娘は自分の意志で日本の高校に進学することを決意。学生寮のある高校を第一条件に志望校を選び、帰国生入試で希望する高校への入学が決まった。

希望通りとはいえ、日本で一人暮らすことになる娘をさぞかし心配したのではないか、とNさんに当時の心境をたずねると、意外な言葉が返ってきた。

「もちろん、心配はありました。ですが、治安の良い日本での生活ですし、夏休みになれば、娘はベルギーに来ることもできるわけです。『何とかなるだろう。うまくいかなければ、その時に別の手段を考えればよい』と、楽観的にかまえていました。それに、寮生活は将来、きっと娘たちの力になるだろうと思って、送り出すことにしたのです」

長女に続き、二女、三女ともに日本に帰国し、寮生活をしながら高校に通う道を考えたため、帰国前から寮生活を体験させることにした。二女、三女、四女は、中3の夏に日本の帰国生専門の教育機関で、宿泊型の夏期講習を受講。さらに三女は中1、四女は小5からイギリスで1~2週間のサマースクールにも参加した。

日本で寮生活をする娘たちとは、スカイプなどでやりとりをし、近況を聞いた。学校の文化祭の開催時や夏休みには必ず一時帰国して、娘たちと一緒に過ごした。

長期休暇には娘がベルギーに来て、北欧やアイスランド、南仏など、ヨーロッパ各地を家族で旅行することもあった。再会するたびに、自分の力で何でもできるようになっていく娘たちの成長を実感したという。

「寮では自分で起きて、掃除や洗濯もやります。当然、公的な手続きなども自分でしなればなりません。ベルギーと日本の往復も、親に頼らず行き来していたわけですから、一緒に暮らしていた頃より、数段たくましくなっていました。また、周囲を気遣うことができるようになったのも、寮での集団生活のおかげだと思います」

四女については、高校進学前のタイミングで夫の赴任期間の期限がわかったため、寮にこだわらずに志望校を探した。結果、帰国生が少ない学校、(生徒全員が高校からの入学で友人関係を築ける)中高一貫校ではない学校、そして共学校といった基準で志望校をしぼり、推薦入試を経て、希望の私立高校に進学した。

現在、四人の娘たちと共に暮らすNさん。大学で栄養学を学んでいる三女が、調理実習の経験を活かして、時々、料理の腕をふるってくれるのが、うれしいという。

長女は高校を卒業後、私立大学の薬学科に進学。現在は治験コーディネーターとして活躍する。次女は、大学では建築学を学んだ後、自動車メーカーに技術職として就職した。四女は高校3年生。私立大学の国際関係の学部への進学を決め、将来は航空関連の仕事に就きたいという夢を持っているという。

日本に帰国して3年が経った今、Nさんは二度の赴任生活で経験した娘たちの進学を振り返り、こう語る。

「子どもの進路を決めるときは、とにかく多くの情報を収集し、さらに一時帰国して学校を見学して環境をたしかめました。滞在中や帰国後の子どもの進路を決めるときは、いろいろな条件や制約がありますが、そのなかで子どもの意思を尊重してあげることが大切なのではないかと思います」

(取材/文:橘晶子)

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