巻頭インタビュー

田中直樹

「マイナスを笑いに変えて

ポジティブにする」

僕の仕事のいいところを子どもたちに

伝えていきたい

お笑いタレント ココリコ
田中直樹

人気お笑いタレントとして、そのお顔を拝見しない日はないほど、日々、日本のお茶の間を沸かせている田中さん。 「3年頑張ってダメだったらあきらめようと思っていた」という、夢をつかむまでの軌跡や、ふたりの子どもの父として考えていることについて伺いました。

 

「タイミング」と「恩」でお笑いの世界へ

テレビなどで活躍する“お笑いタレント”はいまや、子どもたちの憧れの職業。 田中さんはそこに辿りつくまでにどんな道を歩んだのでしょうか。きっかけから教えてください。

田中直樹(以下、田中) いまの職業を目指すことにしたのは、二十歳の頃です。 当時は店舗設計なんかを学ぶデザイン関係の専門学校に通っていました。 そこを晴れて卒業するためには提出必須の卒業制作があったのですが、僕はそれにすごく苦戦してしまいまして。 第一次締め切りにも、第二次締め切りにも間に合わず、最終の第三次締め切り時にギリギリで提出できて、 やっと卒業資格をもらうことができました。
そういう事情で就職活動をまったくしておらず、仕事はどうしようかな……と考えていたら、相方・遠藤から「お笑い、一緒にやらへん?」と誘われたんです。 ほかにやることもなく、タイミングが良かったので「じゃあ、ちょっとやってみようか」って。 もちろん、大阪で暮らしてきたこともあって、ベースに「お笑い、好きやな〜」っていう気持ちは昔からあったんです。 だから「いまやらな、後悔するんちゃうか」という気持ちが湧いてきて、若さにも勇気をもらいつつ飛び込むことにしました。 それと、実は相方が卒業制作をずいぶん手伝ってくれたという恩があり、「ありがとう」の気持ちに背中を押された部分も結構ありました。

 

学んだこととはまるっきり違う、新しい世界に飛び込まれたんですね。

田中   はい、まったく違う。 けれど、いま考えると、設計とお笑い、どちらも「ゼロから作り出す」という点では似ていて。 僕は、何かをゼロから作り出したかったんだと思います。

 

卒業後、お笑いの夢へのスタートは順調に切れたのでしょうか。

田中   いえ、まず、親が「芸人になりたい」とか「東京に行きたい」とかいうことを最初のうちは反対していました。 何の保証もないですからね。それを「ダメやったとしても自分で責任とるから」って説得した覚えがあります。 決めたからには譲らない頑固な面が昔からあったので、だんだんと親も「しゃーないな」と思って見守ってくれるようになったのかな。
お笑いの道を相方と歩み出してからは、「まずは三年。二十三歳のおわりまで続けてみよう。 それでそのとき、どんなものでもいいからレギュラーを持てていなかったらおしまいにしよう」と話しながら、いろんなアルバイトで生計を立てましたね。 サンドイッチ専門店で働いたり、工事現場や清掃現場で働いたり、ビラ配りやポスト投函をしたり。 そうこうしているうちに二十三歳も終わりに近づいたのですが、ギリギリのときに、静岡のテレビ番組でワンコーナーのレギュラーを持てまして! 当時チュパチャップスというコンビを組まれていた、ほっしゃん。さんと宮川大輔さんの番組でした。 あれがなかったら、いまの自分たちはないと思います。

 

お笑い一本でやっていけるようになったのはいつ頃からですか?

田中   二十五歳で、『笑っていいとも!』と『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出させてもらえるようになりました。 どちらも自分がお笑いをやる前からずっと観てきた番組だったので、何かこう、特別な思いや感動がありました。 アルバイトをやめたのは、その頃です。

 

マイナスを笑いに変える!それを子どもに教えたい

とても大胆な生き方をされている印象の田中さん。どのような子ども時代を過ごされたのですか?

田中   性格はいまと変わらず、何か“ジメジメ”した子どもやったと思います(笑)。 でも第二次ベビーブームだったこともあって友だちには恵まれ、近所のたくさんの友だちやふたりの姉なんかと毎日たっぷり遊んでいました。

 

そんな田中さんは、現在三歳・七歳の男の子のお父さんでもいらっしゃいます。子育てにおいて、意識して行っていることは?

田中   よく褒めるようにはしています。 ただ、意識しているというよりは、もっと単純に、子どもが何かいいことをしたり新しいことにチャレンジできたりしたときには自分も嬉しいから、「やったな」とか「えらい!」なんて言葉をかけながら一緒に大喜びしているという感じです。 子どもが悲しんでいたら一緒に悲しくなっていますし。
夫婦の役割分担については特に設けず、幼稚園の送り迎えなどもできるほうがして、お互いをフォローし合うようにしています。

 

では、お笑いタレントという職業を通して、お子さんに「これは教えたい」ということはありますか?

田中   お笑いというのは、マイナスも笑いに変えるものです。 生きていく上でマイナスなことって山ほどあって、落ち込むことやつらいことも山ほどあります。 そこをどうポジティブにとらえ、どう乗り越えていくかが、すごく大切なことだと僕は思います。 仕事をしていて「ひとつ笑えることで、気持ちって大きく変わるなあ」、「最終的に笑える、というのは大きなことだなあ」とよく思うので、そういうことを自分の子どもたちにも教えていけたらいいなと考えています。 ポジティブにとらえるのも、乗り越えるのも、そう簡単にはいかないんですけど。

 

なるほど。そう考えると、いろいろなことをポジティブに変えていくお笑いの力ってすごいですね。

田中   本当にそうですよね。 それから、これはお笑いに限りませんが、「人と人とのつながりの大切さ」にも気付いてもらえたらいいなと思います。 いま僕がこうやって生きていけているのも、いろんな方との出会いに恵まれたからこそ。 「自分ひとりで生きてるんじゃないぞ」という気持ちを持ちながら成長してほしいと思っています。

 

100点目指して笑いも人生もコツコツと

『帰国便利帳』の読者の方々の多くは、学齢期のお子さまと一緒に海外で暮らされています。幼い、若い年齢での海外経験についてはどのように思われますか?

田中   実は僕自身も、「世界中をまわりたいな〜」って、いつも思っています。 僕だけかもしれないですけど、文化や街並みや自然……何事も日本でのことだけが自分の基準になっている気がするんです。 それがちょっとイヤで、いろんな基準があることを知りたし、僕の子どもたちにも知ってもらいたい。 たとえばアメリカに行って、「トイレのドアが重たい」とか「便器の位置が高い」とか、そんなことを感じるだけでも意味がありますよね。
そういえば、いま、上の子は週一で英語の教室に通っています。 遊び感覚で楽しんでいるようですが、いつかその英語が役立つ日も来たらいいですね。

 

では、日本で暮らす利点は何だと思われますか?

田中   「職人気質」をいろんな場面で目にすることができる点だと思います。 丁寧にものを創っていくとか、丁寧に人と話すとか。 自分で納得するものを作ったり、納得することをやることが、やがては人のためになるわけで、そういう面でも、職人気質にはすごく憧れます。
 お笑いの世界でも、周りを見渡すと、職人気質な人が多いとすごく感じますね。 言葉と言葉、人と人をつなぐ職人。そんななかで、何かを作り出していくのはやっぱり楽しいです。 ゼロからはじめるのは大変だけれど、100になったときにすごく気持ちがいいから。

 

田中さんにとっての、100になる瞬間とは?

田中   やっぱりみんなが気持ちよく帰れるときでしょうか。収録やったら収録。ライブやったらライブ。 お客さんもスタッフも共演者も自分もみんな喜んで、楽しい気持ちで帰れたら、それは100点やと思います。 みんなが納得するっていう状態にするのは難しいことだから、よく考えたら、これまでに100点はひとつもないかもしれない……。 でも、だからこそ、「100点とりたいなあ」という気持ちをいつも持っているんだと思います。
将来のビジョンを考えることも必要だとは思うのですが、でもそれよりもまずは目の前のこと。 仕事も生活も目の前の一つひとつの積み重ねが絶対に大切。 だからビジョンは、漠然と掲げるくらいでOKだと、僕は考えています。
あ〜、今日も明日も、100点とりたいなあ!

 
田中直樹(たなかなおき)

1971年4月26日、大阪府出身。20歳の頃、相方・遠藤章造に誘われて、吉本興業のお笑いタレントに。
以来、『笑っていいとも!!』(フジテレビ)や『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)、『飛び出せ!科学くん』(TBS、2011年に終了)など数々の人気番組にレギュラーとして出演。 私生活では、2003年に女優の小日向しえと結婚し、現在は3歳男児・7歳男児の父。

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