巻頭インタビュー

辺見えみり

日本に昔からある考え方やモノが大好き

母から子へ受け継ぐ精神を、

大事に守っていきたい

タレント・女優・ファッションデザイナー
辺見 えみり

1993年にドラマで女優としてデビューした後、その持ち前のキャラクターを生かして数々のバラエティ番組やCMに出演。 最近では大人の女性のファッションリーダーとしても注目されており、自身でデザインを手掛ける洋服の人気も高い。 2011年3月に結婚し、ますますの輝きに包まれる彼女に、夢との向き合いかたや、表現者として伝えたいこと・創りたいものについて伺いました。

 

自分で自分を追い詰めないそれが挑戦を続けるコツ

タレント、女優、そしてファッションデザイナーとして、さまざまな分野でサバサバと気持ちよく、自然体でのご活躍を見せてくれる辺見さん。 そこに、“妻としての顔”が加わった現在の心境を教えてください。

辺見えみり(以下、辺見)  一緒にいると、とても穏やかな気持ちでいられて「この人とならやっていけるかも」と感じたので、結婚を決めました。 結婚って、家族と家族がつながることでもあり、いい意味で「責任が増える」ということなんだと思います。 すごく責任が大きいものだと感じています。

 

お仕事でも常に新しいことに挑戦されている中で、結婚という新たな一歩も踏み出されました。 辺見さんは、新しい世界に挑むときに躊躇するといったことはあるのでしょうか?

辺見   実行しないで後で後悔するのは嫌なので、挑戦はどんどんするようにしています。 ただ、そのときに「さあ、新しいことをやるぞ!」というように、思い切り意識しすぎないこと、そして自分が出来ることの極端に上を目指しすぎないようにすることで、自分で自分にかけるプレッシャーを極力減らすようにしています。 やる気を恐れに変えてしまうのがプレッシャーの持つ怖い力だと思うんです。 だから「失敗して当たり前」というくらいの気持ちを持っていろんなことに臨むと、次にすることが見えなくなってしまうことも、「あー、どうしよう」って動けなくなってしまうこともないはず。 自分がそれまでにやってきたことに自信を持っていれば、いつでも「大丈夫」という気持ちを取り戻せると思うんです。
 このことは、ある局面だけじゃなくて、人生を歩む上でもそうですよね。 たとえば子ども時代で考えても、親の期待というプレッシャーに応えよう、応えようとすると、本来の力が出せなくなっちゃう……というのは、多いのではないでしょうか。 期待されるのって、実は一番しんどくないですか? 「頑張って」って言われすぎるのも、ちょっとしんどかったりするときがありますよね。

 

辺見さんご自身は、どのような子ども時代を送られたのですか? そして、どんな将来を夢見ていたのでしょうか?

辺見   習っていたピアノのレッスンで間違えると、つき飛ばされることもあったくらい、祖父母にスパルタ教育を受けていました(笑)。 そしてそんな祖父母と、「そんなに頑張らなくても大丈夫だよ」と思うくらい父親のようにも頑張ってくれる母のことをとにかく尊敬していました。 いまでも尊敬のかたまりです。
 そんな家族のもとで当時目指していたのは、バレリーナ。ですが、クラシックバレエを十年ほど続けたときに膝を壊してしまって……。 それまではバレエひと筋の人生だったので、自分がしたいことが何かわからなくなってしまったんです。 それで、自分がずっと続けていきたいことを突き詰めて考えると、結論はバレエのように「舞台の上で表現すること」だったんですね。 そのとき、一番身近にあった芸能の仕事という道が開けました。 ちなみに、それ以外には紙粘土などでハンバーグなどの小さなフィギュア、食玩などを作るのもすごく好きで「職人」を目指そうともしたんですが、目が悪くなって親から止められてしまって(笑)。

 

“夢から派生した夢”を叶えられたのですね。

辺見   そういうことになりますね。ただ、「夢は叶えるもの!」といった言葉をよく耳にしますが、私はこの言葉はあんまり好きじゃないんです。 夢を思い描いた姿で実現することって、なかなか出来るもんじゃない。 そんな簡単に言えることではないと思っているんです。 でも、実現できないからと言って全部諦めるんじゃなくて、生活するお金を得ることと、好きなこと・やりたいことの両立を考えればいいと思っています。 たとえば、ミュージシャンになりたいと思ってもなれない人はたくさんいますが、だからといってそれを丸々あきらめてしまうのではなく、音響に関わったり音楽会社に勤めたりして、ミュージシャンに関連した仕事に携わることはできるかもしれない。 「夢のそばにいること」はきっとできると思うんです。 夢が叶わなかったからガックリ、だけじゃなくて、好きなことと食べていくことをバランスよく選んで、続けていく力を身につけることが大切だと、私は思っています。

 

長く着られる服作りをずっと続けていきたい

ファッションデザインのお仕事は、辺見さんにとって好きなこと・やりたいこと、だったのですか?

辺見   実は、昔からやりたかったことではまったくなくて、自分で勉強するようになってから少しずつ好きになったことなんです。
 21〜22歳くらいまでは洋服に無頓着で、買い物に出かけても何を買っていいかわからないと悩むほどでした(笑)。 でも芸能のお仕事を続けるにあたって、そして女性に生まれたからには、「このままではいかん」と一念発起。 勉強しようという決意のもと、『JJ』(光文社)という雑誌の編集長に自分で「1ページ、ファッション企画で連載させてください」とお願いしに行ったんですね。 それからなんです、洋服に目を向けるようになったのは。
 自分がデザインした洋服を着てくれている人を初めて見たときは、本当に嬉しかったですね。反響があると、もっと作りたいという気持ちがどんどん膨らみます。 これからも、洋服のデザインはずっと続けていきたいと思っています。

 

デザインをする上で心がけることはありますか?

辺見   とにかく「絶対に長く着られる服にする」ということをモットーにしています。 流行りものではなくて長く着られる服。 「娘ができたから着させてあげよう」とか、「この間結婚した息子のお嫁さんにあげようかな」とか、そういう風に受け継いでいってもらえるような服にしたいと思っています。
 というのも、私は祖父母や母から「古いものを大切にしなさい」と教わりながら育ったからです。 言葉で教わったわけではなく、「昔からあるものを大事にすることには、こういう素敵さがあるんだ」と思わせられるような行動をずっと見せられてきました。
 たとえば、日本伝統の食べ物「粕汁」は本当によく作ってくれましたが、酒粕と味噌をだし汁に溶いて、野菜をたっぷり入れるその「粕汁」は、子どもの頃からいままでずっと大好き。 美味しいし、あったまるし、体によくて、いいことだらけだからです。
 また、私は母の故郷の京都やフランスのパリが好きなんですが、それは街並みや人々の心に、古いものを大切にする文化、精神が根付いているから。 そういったものにふれると、本当に心が落ち着きます。

 

祖父の国・スペインにはいつか家族と一緒に

辺見さんのおじいさまはスペイン系アメリカ人のかたと伺いました。そのことがご自身のお考えに何か影響を与えるといったことはあるのでしょうか?

辺見   そうなんです。そうなんですが、その祖父とは実は、会ったことが一度もないんです。 京都に軍人さんとしてその祖父がやってきて、祖母と恋におちたのですが、時が来てアメリカに帰ってしまったんです。 そのとき祖母は祖父に「一緒にアメリカにおいで」と言われたそうなのですが、小さかった母を連れて日本を離れることには抵抗があったようで。 以来、疎遠になってしまったそうです。
 スペインという国のことは、昔から意識はしていますね。 母は、私よりももっとスペインに対する思いが強くあるようです。 フラメンコも踊りますし(笑)。 だからいつか、子どもが生まれたときなどに、母と彼とその子どもと、家族で行ってみたいという気持ちがあります。

 

震災を通して思った「日本人でよかった」

3月11日に起こった震災を受けて感じたことを、率直にお聞かせください。

辺見   日常が突然、非日常に変わった当初、私は自分が何をしていいかわからなくて戸惑いました。 けれど、次第に落ち込んでばかりいてもどうにもならないと思うようになりました。 自分だけが元気でいようとしたり、日本の経済の悪化をただただ見続けるのではなく、自分がいままでやってきたこと、経験を何かに少しでも生かしていけないかと試行錯誤しています。
 また、世界中の人たちが応援してくれているのを知って、日本人でよかったなとも、「国が違えば他人」なんてことはないんだなとも思いました。

 

これから「日本」が世界に発信していけることは何だと思われますか。

辺見   もし、今回のことがなくてこの質問をされたら、たとえば自分がデザインした洋服を通して世界の方々と交流できたら……などと別の言葉が出てきたかもしれないですが、とにかく復興するまでは、日本のことしか考えられません。 母国が復興するまでは、それしか。
 私は日本のためにお金を使うし、日本のために動く。 そしてもっといい日本を創る。きっと皆がこの気持ちを持っているはずです。 この姿勢から、「日本人の芯の強さ」あるいは「人間としての強さ」のようなものを世界に見せていけるのではないでしょうか。

 
辺見 えみり(へんみ えみり)

1976年12月16日、東京都港区出身。 1993年から『いちご白書』(テレビ朝日)で女優活動開始、1994年から『銀BURA天国』(テレビ東京)でタレント活動、シングル『TEARS FORTOMORROW』で歌手活動をそれぞれ開始。 以来、映画や舞台、CM、ラジオ、雑誌と幅広いメディアで活躍。 近年ではブランド“ティアラ”とコラボレートするなど、ファッションデザイン活動も行っている。 父は俳優・歌手の西郷輝彦、母は歌手・辺見マリ、夫は俳優・松田賢二。

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